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チェンマイ艶歌の歌姫「マイ・ムアン」

 彼女の歌声を聴いたのはある日曜日、チェンマイ市内ターペー門からラジャダムヌーン通りに抜ける歩行者天国の雑踏の中だった。以前からここは様々な土産物や食べ物屋台が隙間なく並び、観光客や地元の人々で賑わうことで知られた場所であるが、機会がなくて(というか人ごみが嫌で)初めて足を運んだのだ。まるでイモを洗うかのような雑踏の中では素人音楽家が下手な楽器を鳴らし、歌を歌い、あるいは似顔絵を描いてわずかな金を稼いでいた。  

 そんな中に突然、人ごみには似つかわしくないほど美しい声と美しい容姿を持つ彼女がギターをバックに歌う姿が現れたのだ。二人の前にはギターケースが開かれ、中にはCDとチラシが並べられている。このデュオの名前は「マイ・ムアン」。タイ標準語だとムアンは都市・街のことだが、北タイ語の「昔からある」という意味で、「古(いにしえ)の面影の樹」と訳すのが正しいそうだ。
歌が数曲終わるたびに通行人たちが彼らに近づいてCDを買っている。二人はCDにサインをし、丁寧に礼を言って手渡していく。また若い子らが記念撮影をせがみ、にこやかに応える姿もとてもさわやかで強く印象に残った。これほどの実力を持った歌手が何故、歩行者天国でライヴをやりCDを手売りしているのか、ぜひ知りたくてインタビューを試みた。

 彼女の名前はティーラーポーン・ブンプロム(オム)、彼の名前はプラスート・スリーギットラット(マックス)、夫婦である。デビューは何と19年前。チェンマイ出身で地元で弾き語りをしていたオムと、バンコク出身でスタジオ・ミュージシャンとして働きに来たマックスが出会い、すぐに意気投合して「マイ・ムアン」を結成した。彼らの音楽はルークトゥンと呼ばれるタイの歌謡曲だが、スローテンポで優しいフォークソングという印象である。特徴は何と言ってもオムの柔らかく美しい声である。

 デビューからの道のりは決して順調ではなく、毎日レストランを1軒〜3軒回って歌う「営業」が主な収入源だった。約8年前にタイの大手レコード会社「グラミー」と契約しメジャーデビューした。その前に自主制作CDを1枚、グラミーからも数枚のCDをリリースしている。私が聴いた美しい曲は『コー・ドゥーン・ドゥアイカン(一緒に歩かせてください)』、マイ・ムアンの世界を象徴する曲であろう。若い頃は1時間歌ってたった150バーツ、徐々に有名になるにつれて値段が上がり、今ではパーティーなどに呼ばれると3万バーツ以上もらうようになり、ここ数年はやっと暮らしが楽になったと笑う二人。
現在はチェンマイ市内でレストラン「マイ・ムアン」を家族で経営し、日曜日以外は毎晩9時から11時まで店で歌っているとのこと。

 何故、歩行者天国の人ごみの中で歌うのかと訊ねると、「私達は有名になる前からここで歌ってきました。たくさんの古くからの友達がいますし、応援してくれるチェンマイの人たちへ感謝の気持ちを直接伝えたくて毎週日曜日は欠かさずにここで歌うのです」との答えが返ってきた。近いうちにレストランへも聴きに行くと約束して、暖かい気分で帰宅の途についた。




 
(写真1)歩行者天国の人ごみの中で歌う「マイ・ムアン」

      
(写真2)CDを直接売る二人、まるで日本の演歌歌手のよう

(写真3)オムとマックス 美男美女の夫婦

文・写真: 城戸可路