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APSスタッフの洪水体験談

日付が入った写真を見ていると9月上旬からアユタヤの川の水量は増していたようである。

アユタヤ市内は島内と呼ばれ、チャオプラヤー川とパサック川に囲まれた島のようなところだ。
昔からから川の水が溢れて島内に入るので、いつの頃からか土を盛り上げて堤防を作り始めたようである。

ところが今年は50年来の洪水に見舞われ、10月8日、北側の堤防が決壊したようで、すごい勢いで自分が住むアパート付近まで浸水してきた。
翌日の朝、階下に降りていこうとするといつもアパートの玄関で寝ている犬が2階に上がってきているのでおかしいなと思っていると、アパートの1階は既に膝上まで浸水していた。
水に浸かりながら外に出てみると近くの市場やコンビニは全て閉まっていた。

そしてキリングフィールドのワンシーンのように荷物を持って出ていこうとする多くの人たちを見て、自分は何も買い置きをしていなかったので、これじゃバンコクに行くしかないかと考え水の中をジャブジャブと歩き鉄道の駅まで行き、それが最後の列車になったと思うが、なんとか乗れたのは幸運だった。

それから3週間ほどバンコクのラートプラーオ地区に居たのだが、ここも浸水は時間の問題だというので、さぁ、どうしょうかと思い電話でアユタヤの様子を聞いてみたら、なんとアユタヤは水が引いてきているというではないか。
それじゃ帰ろうと思ったのだが、国道1号線が浸水しているので何時ものように一直線で帰るわけにはいかない。
仕方ないのであちこち迂回しながら通常の3倍の時間を掛けやっとアユタヤに帰ってきた。

アユタヤの島内は運河もあり川にも囲まれているので、ポンプでの排水は意外と早く1週間くらいで島内の水はなくなり、市場も再開し始め、商店も少しずつ開き始めた。
これで元通りの生活に戻れると思うと何か嬉しく幸せな感じがした。
しかし一歩郊外の田畑に出ると一面湖と化しており、洪水が終わったと思うのはまだまだ早いと思った。

北部からきた水は途中で他から流れてきた大量の水と合流し、ナコンサワン、チャイナート、ウタイタニー、アーントーン、アユタヤ、パトゥムタニー、ノンタブリー、バンコク、サムットプラカーンなどの多くの県の都市部を通り海に流れ出る。
そして北部から順に水が引き久々に乾いた大地が現れてくるのだが、今年の洪水は首都バンコクの北にあるアユタヤなどの各県から水が引き、乾季特有の澄み切った青空が広っても、首都バンコク周辺はいまだ水浸しという状況が続いている。

バンコク周辺各地の一階建ての家の屋根で子供たちが2ヶ月も暮らしている、という犠牲のもとに浸水から守られた首都バンコクの中心地で、「洪水は終わった」と知事がタレントを引き連れてお祭り騒ぎをしているのを見ていると、人の痛みをまったく分からない身勝手な人たちだなと他人ごととはいえ怒りを覚えずにはおれない。

そして、また今回の大洪水で、住む処が異なるだけで、これだけの差別、格差があるのかと驚きさえ感じた。
首都バンコクの中心地を守るためにどれだけ多くの人が苦しい思いをし、犠牲になったか。
為政者はどこの国も同じなのかなと情けない思いでいる。

文・写真:バンコクの喧騒と希薄な人間関係の社会から逃れ、現在アユタヤ在住の森田次郎